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           介護サービス包括型グループホーム

 

グループホーム 名称         住所

 メルヘンケニギン 岡山市東区可知1-381-18 (男性3名)

 ロイヤルハイネス 岡山市東区富士見町1-1-4 (女性4名)

 

受付時間
9:00~19:00

定休日

なし

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アンジョリロゼールの理念

私たちの理念

、私は世界文化遺産である京都の東寺の境内の中にある洛南高校を卒業しました。当時の校長である、三浦俊良先生の言葉を今も心に刻んで忘れません。それは、社会の雑巾になりなさいと事あるごとに三浦校長は私たち生徒に話していました。社会の雑巾とはその当時はなんのことやらさっぱりわかりませんでした。しかし、ネットで社会の雑巾と検索してみたらいくつか当たりました。そして同じ洛南高校のOBの人たちのホームページであることを知りました。そして人生とは苦であるとも教わり知りました。私は前職であるNPO法人土田の里を立ち上げたとき法人の設立理念はこうでなくてはと思いました。社会の雑巾になって生きることは言葉ではわかりますがいざどのような生き方がそうなのか、誰も教えてはくれません。そして三浦校長は言われました。人生とは苦であると。しかしこの二つの言葉はどのようにつながるのか探す日々が続きました。社会の雑巾そして人生とは苦である。この言葉と、法人理念がどうつながるのか結論を出さねばいけません。一生懸命生きる人こそが社会の雑巾そのものであると思います。人生とは苦である、仏陀の言葉ですが三浦先生は人生の歩み方を教えてくれたのではないでしょうか。社会の雑巾になる人は独立者であり、自らを燈明として、他人をよりどころとせず、法を燈明とし、法を拠り所として、他を拠り所とせずして住するがよい。(仏陀の言葉)私たちのグループホームで働く職員はここに住まわれる人が人間としての真の独立者になってほしいと願いともに支援いたします。これが、法人理念であります。

物の興廃は人に由る    人の消沈は定めて道に在り

暖かく懐かしい

東井義雄先生は兵庫県出石郡但東町の八鹿小学校の校長先生で、日本のペスタロッチと呼ばれた先生です。先生の著書(村を育てる学力)の中に次のような小学5年生が書いた詩が載せられています。

 

おちち

母と弟とわたしとおふろにはいった。

母のおちちがほんのりいろづいて

ふわ ふわ およいでる。

弟が、にこにこうれしそうにちょいちょいさわっている。

さわってはわらっている。

わたしもそっとさわりたくなった。四つのときからさわらなくなった。

わたしが四つの時、おちちを母はやめさせた。

にがいお薬をすりつけて

のませないように母はした。

私ははっきりおぼえている。

さびしくて さびしくてかなしくて

またしてはないた。

母がよその人になってしまったような

さびしさ

母がわたしの母でなくなったような

かなしさ、わたしははっきりおぼえている。

この詩から私たちのグループホームの姿を想像してください

 

 

くましろ昭彦氏よりの励ましの言葉

合同会社杜の子フロマージュはこのほどグループホームをオープンされました。名前はアンジョリロゼール(可愛いバラ)という意味です。心暖かい素晴らしい障害者グループホームになること間違いなしです。代表の藤田佳伸さんはNPO法人土田の里を2004年に設立し、自立援助ホーム(ソレイユ)等の児童福祉事業所を経営しておられ、5年前それらを息子さんにすべてを委ね、今また新しいグループホームを作られました。藤田さんは優しい思いやりあふれる新しいグループホームに光あれと始められました。ご期待申し上げるところ無限大です。

元厚生省援護局長 元衆議院議員 元内閣府副大臣 首相補佐官 前岡山市会議員

くましろ昭彦

 

管理者の思うこと

管理者である藤田は神戸市垂水区高丸で1955年に生まれました。遠くに紀伊水道、友が島が見え、近くには淡路島がみえる丘の上の家で大学卒業まで生活しました。両親はともに岡山市出身。父は現在の商船三井に勤務しパーサーとして乗船していました。小さい頃は当時としては珍しい果物やチョコレートなどのお菓子や、ワニや亀のはく製、木彫りの人形などがお土産を上陸したら持って帰ってくれうれしかったものです。まだスーパーなどには並べていなかったグレープフルーツや大きなスイカのようなメロン。オレンジもお土産でした。かなり贅沢な少年時代でしたが正直甘やかされて育っていたように思います。小学校4年生ごろにはゴルフも覚えました。また水泳も得意で、小学校4年と5年の時は学年で1番という経験もしました。中学校に上がり水泳部に入り、オリンピック選手であった森脇操子先生の指導を受けフリーの選手となりました。森脇先生は幻のオリンピック(太平洋戦争勃発で中止)といわれる東京オリンピックの平泳ぎの代表選手です。ここで頑張り全国大会までは無理でしたが近畿大会などには出場しました。表彰状はかなりいただきました。この調子で、夢はインターハイと思い、京都の私立洛南高校に進み、水泳部に入りました。当時洛南は京都府大会で10連勝以上、全国クラスの選手も複数いたすごい学校でした。練習は6時には切り上げていましたが、朝練、昼練とあり内容の濃いものでした。1年生の途中ある病気になり、絶対安静を言い渡されそのまま休学となりました。前置きが長くなりましたがそれからが大変でした。病気が治って復学しましたが、周囲の目が気になって居方がありません。恥ずかしい、情けない、悪口を言われているのではないかなどの妄想というかなんと言おうかその場から逃げ出したいという気持ちが勝り、体調を崩し再び休学ということになりました。病気自体も完治ではなかったようなので体も気持ちもすぐれない毎日を送るようになりました。こういう状態の毎日を2年間近く送りました。悶々とした毎日を送っていましたがなぜかこんなことをしていたらどうなるのだろうかという気持ちが起きてきました。父は船に乗って3から4か月しないと帰ってこない。母はただただ優しい。甘えていたのは間違いありません。岡山の祖父母はもういい年なんだからしっかりしろと言われました。確かにその通りですだんだんと何かをしたくなりました。父はもう一度学校に行けと言います。周囲も同じです。そして母親と休学中の洛南高校へ復学をしたいと願い尋ねました。対応してくれたのは副校長の三浦俊良先生と京都府柔道連盟の会長である平田先生でした。この二人の先生の言葉を覚えています。前例がないのですぐには返事はできない。この2年間家で何をしていたのか。お前の考えは甘い、服装もだらしがない。いろいろ注意されこの次は一人で来なさいと言われ数日後一人で尋ねました。そこでまた髪が長い、ズボンが変だ。洛南の制服で来なさいなどなどまたまた注意され、3度目の訪問となりそこでやっと復学を許可されました。多分、この間職員会議や学年会議などを行い検討したのだと思います。3回も復学のお願いに行ったこの間何度も会議があったものと思いますが、3度足を運ぶごとにもう一度何としてもこの学校で過ごしたいと願いを強くしたのは間違いありません。三浦副校長は私の気持ちを確かめていたのだと思います。こうして復学を許可され2度目の高校1年生が始まりました。2度目の高校時代は最初は体力もなく大変でしたがだんだんと楽しくなってきました。友人にも恵まれ私を福祉の道へ導いたH君もその一人でした。H君は足の不自由な人で、片方の足が片方の半分もない太さの友人でした。毎日同じ電車に乗って帰りも同じでした。彼は、普通に我々と過ごしました。野球の話や授業の話、将来の話など親しくなりました。足が不自由など何も言いません。体育大会や校内バレー大会、水泳大会なども一緒に出ました。彼の存在が私を東北福祉大学へ進ませてくれたのは間違いありません。本当に感謝です。洛南高校時代はかなり勉強もしましたが、3年休学の代償は重く数学や英語はなかなか成績は伸びませんでした。しかし国語や歴史などは頑張りました。この2教科は偏差値65から70でした。日本史の模試で偏差値80も経験しました。学研の全国模試でした。

東北福祉大学では2年次から食品衛生コースへ進みました。福祉の資格と食品衛生の資格が合わせて取れることが魅力に感じました。教職も選択し養護学校の免許も希望しましたので、3年時に母校である洛南高校で教育実修もしました。食品衛生コースでは一生の恩師となる3人の先生とご縁ができました。東北大学から来られた中西武夫教授、実験助手であった畠山英子先生。そして斎藤忠夫先生です。中西先生は酪農科学の日本での権威者で日本酪農科学会の会長をされていました。畠山英子先生と斎藤忠夫先生は食品衛生実験の担当の先生で、微生物実験や食品の各種分析実験を指導していただきました。大学時代は22人が食品衛生コースに所属。少人数だったので毎日卒業まで顔を合わすのでそれは楽しかったです。今もお互い連絡をしあい同窓会も何度もしています。 

就職は中西武夫教授の強力な推薦でオハヨー乳業に就職しました。最初の仕事は市乳工場の受乳場という部署でした。原料乳の受入検査の仕事です。タンクローリーに飛び乗ってサンプルをとっての検査でした。そして乳の分離や還元、牛乳の殺菌、コーヒー、乳酸菌飲料、コーヒー用のクリームや製菓用の生クリーム、低温殺菌牛乳の製造なども作りました。プレーンヨーグルトの製造もしました。

10年勤め、縁あって社会福祉法人弘徳学園の児童施設に転職しました。知的障碍児の入所施設です。ここに5年ほどいて同じ法人の成人の入所施設に代わり、計15年ほどお世話になって退職しNPO法人土田の里を立ち上げ独立しました。ここでは支援費制度の障がい者デイサービスと児童デイサービスの2事業を以下岡山市の認可を得て行いました。その後、障害者自立支援法に法律がかわり、児童デイサービス1型2型の2事業を行い、地域活動センター2型と相談支援を行いましたが。就労継続支援A型事業所を始めるときに、地域活動支援センタ2型と相談支援は廃止しました。この2事業は岡山市が行う地域生活支援の中の事業だったというのが主な理由です。その後児童デイサービスは児童発達支援、放課後等デイとなり、土田の里、土田の里下中野荘、チャイルドストライブの3か所の事業所を作りました。A型事業所も岡山市、総社市、新見市の3か所設立しました。また生活介護事業所も岡山市内2か所と総社市に1か所設立しました。

自立援助ホームの設立も行い、定員6名の小さな事業所ですが2011年の設立なのでもうすぐ15年になります。その後一部事業所の廃止なども経験し2021年には心血注いで作ったNPO法人土田の里を去り今に至っています。就労継続支援A型事業所を2010年春に作りました。名前をアンジョリロゼールとしました。仕事の内容は3っつ。バラの栽培とイチゴの栽培、そして当時、ほとんど日本の障碍者支援事業所では例を見ないナチュラルチーズの製造を行う事業所として出発しました。東北福祉大学時代にクリームチーズの製造と一般成分の分析という内容で卒業研究を行い、オハヨー乳業で乳製品の製造を経験。これらの経験と実践をもとに、チーズ製造を仕事の中に組み入れました。そして斎藤忠夫先生の助言と指導の下岡山市東区松新町にチーズ工房を立ち上げ利用者と10年以上頑張りました。今はA型事業廃止に伴いチーズ工房はなくなりましたが、アンジョリロゼールの名前はグループホームの名前と変わり今も生きています。事業形態は変わりましたが利用者のみんなとともに汗を流した毎日を忘れないために同じ名前をつけました。

共同生活事業所アンジョリロゼールをどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

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